想いは余白に流れる

私は、生きる、死ぬ、そしてなぜ、生きるのか、その意味は、、とずっと長い事、

追求してきました。その中で、見えたもの、手放したもの、消えたもの

などがあります。

普通の方々より、少し感覚が違う、見ているところが違うかもしれませんが、

みんな同じ道のりで、歩む道。

そして、それをちょっと先に進んでるだけで、何の変りもないですし、私の先には

まだまだ長い道のりがつづきます。

そのような中、この仕事をして、いろいろな方達の話を聞いていて、少しだけ私もさらに

前にすすんだことがあります。

それは、最近、大切なご親族を亡くされた方が、ゼロ食欲セッションに参加される事も多くなって

きていますが、その方をセッションしていると、

私が、話してはいない、  ということに何度か気づかされます。

これはどうゆうことかと言いますと、

私の中に何かがとおりすぎて、それを言葉として、相手に伝えているだけ、、、、

の感覚です。

私が思ったことではなく、誰かの気持ち、意思、流れた何かを、わたしが、感じて、それを口に

しているだけ。。。ということです。

それは、もしかしたら、ご遺族の意思なのか、目の前のセッションの方の想いなのか、誰か通りすがり

のものなのか、、、いまいちまだハッキリしません。

しかし、現時点で言えるのは、私は空洞である。ということ。

そう、無の状態で、ここを感じることができます。

ある一定の、集中に、止まった瞬間。とでもいいましょうか。

これが、ワンネス、いわゆる、繋がった状態。

なので、私はそこにいないです。

そして私は言っていません。

これが、相手と、また、違う何かとつながり、一致して、わかる、溶ける。解放する。

これが、ゼロ食欲セッション。

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